やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる

スポンサー広告



最近、ブログに書く内容について煮詰まってしまい、全然書くことができなくなっていました。
今日は久しぶりにブログを書いています。

ですが書きたいと思ったことが旅のテーマではないです(笑)
でも何となく書き記しておきたくなったので書きます。

プロフィールにもあるとおり、わたしは望んで起業したわけではありません。
一度目の退職はサラリーマン人生に絶望したから。
二度目の退職は冤罪によるリストラです。

わたしが思い描いていた未来は、いい会社に入って、いい給料をもらい、いい生活を満喫して、いい妻を娶り、いい家庭を築き、望んでいた「いい人生」を送ることでした。

ところが今は思い描いていた未来とは程遠い人生です。
他人から見たらうらやましがられますが、あくまでも主観ではいい人生を送れていないと感じています。

では不幸なのかというと、実はそうではありません。
下手したらめちゃくちゃ幸せかもしれません。

思い描いていた人生から脱落したのは、自分のやってしまった失敗行動によるせいです。

昔こんなことがありました。
わたしがサラリーマンだったころ、指導員的な立場にいる先輩社員がいました。
いろいろあってその先輩社員が強烈に嫌いになるほど関係は悪化していました。

あるとき、その先輩社員が結婚式を開くことになりました。
わたしは直属の後輩です。
普通の礼儀では結婚式に参列することが常識です。

ですがわたしの心は、どうしてもお祝いしたい気分ではない。
貴重な休日を潰して、強烈に嫌いな人間のために時間を使いたくない。
時間だけではありません。
お金も差し出さなければなりません。
ご祝儀やら会費やらで。

今後の会社人生や世間体や人間関係のことを考えたら、絶対に結婚式に行った方が身のためです。

ですがわたしの心は、嫌いな奴を祝福できない。
時間も奪われたくない。
お金も差し出したくない。
と、強く感じていたのです。

結局、わたしは不参加を表明しました。
そうしたところ、当時80名ほどの人員が居た部内が不穏な雰囲気になりました。
部内にこんな噂が流れたのです。

「殿ちゃんは先輩社員を嫌っている」

まあ事実だし、課内では知られていましたが、部全体にそれが知れ渡ることはなかったのです。
ところが部内のほぼ全員が結婚式に参加するにもかかわらず、たったひとり、わたしだけが欠席を表明したのです。

これには当時の上司の課長や部長も、まずいと感じたようで面談に持ち込まれてしまいました。
欠席の理由を探るためと、なんとか出席できないのかという説得でした。

普通なら親族の法事があるなど、うまい理由を付けてかわすところを、わたしはなにを狂ったのか、件の先輩が強烈に嫌いで祝福する気に慣れないからだと直球ストレートボールを投げてしまったのです。

で、結局、結婚式は欠席しました。

その後は言うまでもありません。
会社内で先輩社員との関係性はますます悪化し、仕事上でもつらく当たられたりと非常に苦しい職場生活が続きました。

もうそれも十数年前の話です。
今にして思えば、やっぱりあの時に迎合して参加しなくてよかったと心から感じており、そのことを思い出すたびにとても勇気づけられます。
自分は世間体や権力に屈しない強い人間だったんだと。

作家の林真理子氏も、著書でこのように言っています。

「やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる」

もしあの当時、常識と世間体に負けて結婚式に参加してしまっていたら、なんで嫌いな奴のために時間とカネを浪費しないといけないんだよ!、と後悔しそれをずっと引きずっていたかもしれません。

とまあ、そんな昔の出来事を思い出しました。

はっきり言って今の人生は、そとづらは華やかですが失敗だらけの人生です。
でもなぜか心はいつも晴れやかなんです。
その理由がやはり、「やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる」なのです。

やってしまって失敗すると、道を誤ることや大きな損失を被ることもざらにあります。
でも面白いことに、納得感は非常に高まります。
それが後悔の少ない人生をもたらしてくれているのでしょうね。

久々に文章を書いたので、モロに支離滅裂ですねw
まあ、ブログ更新のリハビリということでこれでご容赦ください。

スポンサー広告



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください